平和を考える旅へ。鹿児島・知覧でたどる特攻隊の記憶

平和を考える旅。知覧で特攻隊の歴史をひもとくピースツーリズム

薩摩半島の南部に、穏やかな風景のなかで、忘れてはならない歴史を今に伝える町があります。南九州市・知覧(ちらん)です。ここは、ほんの約80年前、特攻基地のひとつとして機能していました。

当時この地から飛び立ったのは、現代を生きる私たちと何も変わらない、未来への希望や大切な人への思いを抱えた若者たち。生きた時代が違ったというだけで、過酷な運命に向き合わざるを得なかった人たちがいました。

世界情勢が刻一刻と変化し、平和が叫ばれる今。過去の出来事としてではなく、一人ひとりの人生に思いを寄せながら、改めて平和について考えてみませんか。

 

南九州市知覧へのアクセス

知覧のある南九州市には電車が通っていないため、公共交通機関を利用して行く際は、「鹿児島中央駅」から出ている直行バスでの移動がスムーズです。

 

「鹿児島中央駅」の桜島口(東口)にある、路線バスのりば「東16乗場」から知覧行きのバスに乗って、約1時間20分で行くことができます。
詳細は南九州市観光サイトを確認してください。車で行く場合は、「鹿児島中央駅」より50分ほど南下すれば到着します。

 

「鹿児島空港」から向かう場合は、空港から「鹿児島中央駅」へ直行するリムジンバスに40分ほど乗って、「鹿児島中央駅」から知覧行きのバスに乗り換えましょう。
車の場合は、南へ約1時間~1時間15分でアクセス可能です。

 

平和を考える旅。知覧で特攻隊の歴史をひもとくピースツーリズム
画像提供:知覧武家屋敷庭園事務所

知覧といえば、歴史を象徴する「知覧武家屋敷庭園群」を思い浮かべる人が多いのではないでしょうか。
旧街道沿いに7つの美しい武家屋敷と庭園が連なるこの一帯は、知覧の歴史と景観を象徴するスポットです。

平和を考える旅。知覧で特攻隊の歴史をひもとくピースツーリズム
画像提供:知覧武家屋敷庭園事務所 

遠くに母ヶ岳(ははがだけ)を望む、落ち着いた景観は「薩摩の小京都」とも称されるほど。そんな美しい町に、忘れてはいけない特攻隊の歴史が眠っています。

 

知覧武家屋敷庭園群

住所
鹿児島県南九州市知覧町郡13731-1
営業時間
9:00~17:00
定休日
なし
料金
【入場料】高校生以上530円、小・中学生320円、未就学児無料
アクセス
【電車】JR「鹿児島中央駅」から鹿児島交通バス乗車、「武家屋敷入口」停留所または「中郡」停留所で下車後、徒歩すぐ
【車】指宿スカイライン「中山」ICから約30分
公式サイト
知覧武家屋敷庭園

残された特攻隊員たちの資料から、戦時中の知覧を知る

平和を考える旅。知覧で特攻隊の歴史をひもとくピースツーリズム

明治時代に入ると、日本は西洋各国に追いつき、追い越すことを目指して急速な近代化を進めます。
欧米の技術や制度を取り入れ、学校や郵便、鉄道、工場といった現代につながるインフラが次々と整備されていきました。

 

中でも、避けて通れなかったのが軍事力の強化です。
江戸末期の開国や薩英戦争などの経験から、日本は植民地化への危機感を強めていきます。
欧米列強に対抗するため、西洋式の軍隊制度を導入し、海外の軍人を招いて指導を受けるなど体制を整えていったのです。

 

平和を考える旅。知覧で特攻隊の歴史をひもとくピースツーリズム

明治期の日清戦争や日露戦争は、国を守るための戦争でしたが、大正時代の第一次世界大戦以降、日本は権益を求める“攻め”の戦争へと傾いていきます。
1941(昭和16)年に日本は真珠湾のアメリカ海軍基地を奇襲攻撃し、東南アジアやオーストラリアへと進出。
しかし、翌年以降は形勢が逆転し、日本は守勢に回ることになります。

 

こうした時代の流れの中で、知覧もまた戦争と無縁ではいられませんでした。

 

そして1945(昭和20)年の春、アメリカ軍が沖縄に上陸。
沖縄を含む日本各地が空襲の対象となる中、日本軍は本土上陸を食い止めるため、沖縄への特攻という過酷な作戦に踏み切りました。
17~32歳、平均21.6歳の青年1,036人が、この作戦で特攻隊員として沖縄戦に向けて飛び立っていったのです。なかでも、約4割にあたる439名が、知覧から出撃していきました。(※知覧から徳之島・喜界島を経由して出撃した人数を含む)

 

知覧特攻平和会館

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「知覧武家屋敷庭園」から南へ車で約6分のところにある「知覧特攻平和会館」は、そんな「沖縄特攻作戦」をきっかけに生まれた、日本の痛ましい歴史を後世に伝える重要なスポット。

 

もともと「知覧飛行場」は、1941(昭和16)年に建設された陸軍の操縦士を育てるための訓練場でした。飛行兵が、基本操縦を半年間学ぶ教育機関だったのです。
しかし戦況の悪化に伴い、特攻隊の出撃基地としても使われるようになりました。

 

「知覧特攻平和会館」では特攻隊員たちの冥福を祈るとともに、特攻の歴史を風化させないために、彼らの遺影や遺品、実物の戦闘機などを展示しています。

 

取材時は、学芸員の八巻聡(やまき さとし)さんに館内をご案内いただきながらお話を伺いました。

「知覧は福岡県にあった大刀洗陸軍飛行学校の分校として建てられ、パイロットを養成する飛行場として使用されました。知覧は本土最南端の飛行場であったため、戦争末期になると各地で編成された特攻隊が知覧飛行場へ前進し、沖縄の敵艦船を目指して出撃していきました。また、特攻作戦が激化した時期の隊員たちの滞在期間はわずか数日。到着してすぐに出撃するケースもめずらしくありませんでした」

 

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館内へ入ってロビーを進んだ先にあるのは「遺品室」。
その中央にあるのが、当時、陸軍の主力機だった一式戦闘機「隼(はやぶさ)」(キ43-Ⅲ甲)のレプリカです。

 

特攻作戦では従来から使用されていた機体に爆弾を装着し、特攻機として使用されました。
「隼」もそのひとつで、166機が特攻に使用され、内120機が知覧基地から飛び立っています。

 

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「隼」のレプリカを囲うようにして展示されているのは、1,036名の特攻隊員の遺影、遺書、手紙、辞世の句など。

 

亡くなられた隊員たちやご遺族への配慮から撮影不可となっていますが、遺影の下には遺書・手紙・辞世・絶筆などの展示もあります。

 

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手紙は原文に加え、タッチパネルでも閲覧可能です。
母への感謝やきょうだいを気遣う言葉、将来への希望などがつづられていました。こうした記録から伝わってくるのは、彼らが特別な存在ではなく、家族を想い、未来を思い描いていた「ごく普通の若者」だったということ。

 

もし自分が80年前に生きていたら、同じように出撃を命じられていたかもしれない。あるいは、大切な人を送り出す側だったかもしれない。
なぜこのような過酷な作戦が生まれたのか。彼らはどんな想いで最期の言葉を残したのか。

 

その一つひとつに思いを巡らせながら、彼らの人生に静かに向き合ってみましょう。

 

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「遺品室」の奥には、陸軍四式戦闘機「疾風(はやて)」(キー84甲)の展示もあります。
現存する「疾風」は世界中でこの一機のみ。世界的に見ても貴重な資料です。

 

画像提供:知覧特攻平和会館

また、館内には「海軍零式艦上戦闘機」も展示されています。
特攻機を守りながら沖縄へ向かったあと、エンジントラブルによって甑島近くに不時着し、海没した機体です。
終戦から35年経ったあと、海から引き揚げられ、知覧で展示されることになりました。

 

展示のために新たな部品が加えられたことはなく、最低限の処置のみが施された実物を見ることができます。

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後部に見えるところどころに穴が開いており、「実はこれは少しでも機体を軽くするためにあえて施されたものなんです」と八巻さん。

 

「展示されている零戦に円形の穴が数多く開けられているのがわかると思います。飛行機は少しでも軽い方が速度も燃費も良くなるので、強度を落とさないように計算された場所に穴を開けてあるんです。
肉抜きと言いますが、今の飛行機も翼や胴体の内側はこのような構造になっています」

 

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建物の外には、特攻隊員たちの宿舎として利用されていた「三角兵舎」の復元施設もあります。

 

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戦争当時、「三角兵舎」は35棟あり、特攻隊員だけでなく、機体の整備担当や通信担当など基地に関わる人たちがここで寝泊まりしていました。
出撃前夜には、ここでお酒を酌み交わしながら隊歌を歌い、壮行会を開いたといわれています。

 

最後に八巻さんは、こう言葉を結びます。
「ここにある彼らの痕跡は、“特攻隊員”としての姿だけではありません。展示を通して、その一人ひとりが、どんな人生を生きていたのかを想像してほしいです」

過去の出来事としてではなく、自分ごととして向き合うこと。そうした想像の積み重ねが、私たちの平和を守るための出発点なのかもしれません。

 

知覧特攻平和会館

住所
鹿児島県南九州市知覧町郡17881
営業時間
9:00~17:00(入館16:30まで)
定休日
なし(台風時など状況により休館することあり)
料金
【入館料】高校生以上500円、小・中学生300円
アクセス
【電車】JR「鹿児島中央駅」から鹿児島交通バス乗車、「特攻観音入口」停留所で下車後、徒歩約5分
【車】指宿スカイライン「中山」ICから約30分
公式サイト
知覧特攻平和会館

万世特攻平和祈念館

平和を考える旅。知覧で特攻隊の歴史をひもとくピースツーリズム

「知覧特攻平和会館」から、北東へ向かって車で約30分の南さつま市には「万世(ばんせい)特攻平和祈念館」があります。

 

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Wを描いたような外観は、少年兵たちが使っていた練習機「赤とんぼ」をモチーフにしたデザイン。平和を祈る合掌をシンボル化した屋根も印象的です。

 

この祈念館は、「万世陸軍飛行場」の跡地の一角に建てられました。
「万世陸軍飛行場」は、沖縄戦の激化によって「知覧飛行場」だけでは特攻隊の運用が難しくなった際に急遽整備された補助飛行場です。

 

1945(昭和20)年3月末に完成し、使用されたのは終戦までのわずか4カ月間。
それでもこの地からは、特攻隊員121人に加え、第55戦隊6人、第66戦隊72人、その他2人、あわせて201人が沖縄の空へと飛び立ちました。

 

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この祈念館を建てるのに力を尽くしたのは、飛行第66戦隊の少尉・苗村七郎(なえむら しちろう)氏です。
終戦後に大阪へ戻ったのちに再び万世を訪れた苗村氏は、当時の特攻隊宿舎だった「飛龍荘」の所有者・山下藤吉氏と出会います。

 

山下氏の「亡くなった特攻隊員たちの慰霊碑を建てたい」という思いに共感した苗村氏は、地域や行政に呼びかけるとともに、妻と全国の遺族を訪ね歩きました。

 

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一人ひとりの声に耳を傾け、遺品や遺書を託されながら、地域の協力と私財をもとに「万世特攻平和祈念館」を完成させたのです。

 

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館内は、1階と2階で展示内容が分かれています。

 

1階には、目の前の吹上浜沖から1992年に引き揚げられた「零式三座水上偵察機」を展示。
海没した当時の姿を再現するように、砂の上に配置されています。

 

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この機体は1945(昭和20)年6月4日、福岡から飛び立ち、指宿の基地を経て沖縄へ偵察。与論島付近で敵機に発見されながらも逃れましたが燃料不足により帰還できず、海へ不時着しました。乗務員3人は海へ飛び込み、全員生還したといわれています。

 

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「零式三座水上偵察機」の近くには、大きな写真パネル「仔犬を抱いた少年飛行兵」が。
「万世飛行場」で撮影されたとされるこの一枚には、あどけない表情の若者たちの姿が写っています。「ほがらか隊」と自らを呼んだ、明るい彼らは、当時まだ17歳~19歳でした。

 

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この写真について、学芸員の楮畑耕一(かきはた こういち)さんが詳細をお話ししてくれました。
「撮影された瞬間は、出撃の2時間ほど前でした。自分たちが搭乗する襲撃機が整備されている様子を近くで見ていたときだといわれています。
そのとき、整備隊長が拾ってきた仔犬が現れ、写真中央にいる荒木幸雄少尉が手を差し伸べて抱いたところを、たまたま通りがかった朝日新聞 福岡総局の記者が撮影したんです」

ここで行われていた「整備」には、機体の調整だけでなく、250キロ爆弾の装着も含まれていました。

「特攻隊員にとって出撃は死に直結します。身体は元気で、普段と変わらない時間が流れているように見えても、その先には帰ることのできない任務が待っていました」

自らの死が迫っていることを知りながら、それでも笑顔で映る彼らに、胸が詰まります。

 

写真の若者たちは、朝鮮・平壌で編成されたのち各地を転戦し、1945(昭和20)年5月25日に万世へ到着しました。撮影はその翌日、26日とされています。

出撃は天候不良により一度延期されましたが、翌27日に実施され、若者たちは帰らぬ人となりました。

 

さらに楮畑さんは、目に見える資料だけでは知ることのできない、もうひとつの現実も教えてくれました。

「特攻隊員には遺骨が残りません。そのため、通信を担当していた隊員たちが出撃した機体の“最期”を受け取っていました。特攻機から発せられる無線電話は、音が途切れた時刻をもって「突入」——つまり戦死の時刻とされていたといいます。通信担当の隊員たちは、その時刻を記録し、上官へ報告していたんです。

仲間の最期に耳を傾けて、それを書き留め、報告する。その役目がどれほど過酷なものだったのか、私たちはどこまで想像できているのでしょうか」


 

平和を考える旅。知覧で特攻隊の歴史をひもとくピースツーリズム
平和を考える旅。知覧で特攻隊の歴史をひもとくピースツーリズム

2階では、苗村氏が遺族から託された膨大な数の遺品や資料の展示も。

 

平和を考える旅。知覧で特攻隊の歴史をひもとくピースツーリズム

中には「仔犬を抱いた少年飛行兵」の中央に写っている荒木幸雄少尉が、出撃前に両親へ宛てた最期のはがきも展示されていました。

楮畑さんは、資料を見つめながらこう語ります。
「遺書やはがきには、家族を思う言葉が多く残されています。私たちと同じように、一人ひとりにそれぞれの人生があったことを感じていただけると思います」

学芸員の方による解説を直接聞ける機会があることも、この場所を訪れる大きな意味のひとつだと感じました。訪れた際はぜひ学芸員の方に声をかけてみてください。
 

万世特攻平和祈念館

住所
鹿児島県南さつま市加世田高橋1955-3
営業時間
9:00~17:00(入館16:30まで)
定休日
12月31日~1月1日
料金
【入館料】高校生以上310円、小・中学生210円
アクセス
【車】指宿スカイライン「中山」ICから約35分

青年たちを支えた「お母さん」がいた食堂へ

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(後列の左から2番目)鳥濵トメさん

知覧の中心地には、「知覧飛行場」で働いていた人たちの食と心を支えていた一人の女性がいました。「富屋食堂」の鳥濵トメ(とりはま とめ)さんです。

 

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1928(昭和3)年に開店した「富屋食堂」は、「知覧飛行場」の開設とともに軍の指定食堂となり、多くの兵士たちが集う場所となりました。
明るく愛情深いトメさんは「お母さん」「おばちゃん」と慕われ、特攻隊員たちにとって心の拠り所でもあったといいます。

 

特攻隊員一人ひとりを我が子のようにかわいがり、「自分が死んだら母に知らせてほしい」と託されるほど深い信頼を寄せられていました。
彼らの出撃後には、その想いを受け取ったトメさんが遺族へ手紙を書き続けたそうです。

 

戦争末期、食料や物資が不足する中でも、出撃を控えた若者たちの願いを聞き、私財を投じて食事を用意。やがて紙さえも手に入りづらくなると帳簿を破ってまで、託された想いや出撃前の様子を伝え続けました。

 

戦後も遺族や生還者との交流を続け、「富屋食堂」の閉店後には遺族の方たちが知覧を訪れた際に身を寄せるところがあると便利だろうと「富屋旅館」を開業。
89歳でその生涯を閉じるまで、亡くなった隊員と遺族に寄り添い続けました。

 

ホタル館 富屋食堂

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「知覧特攻平和会館」から北へ車で約5分、「富屋食堂」の跡地には現在「ホタル館 富屋食堂」が建っています。

 

「ホタル館 富屋食堂」は、特攻隊員たちやその遺族、トメさんとの思い出・逸話などを写真と遺品を中心に構成展示する資料館です。

 

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館長を務めるのは、トメさんの曾孫にあたる鳥濵拳大(とりはま けんた)さん。

 

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館内には当時の検閲を通っていない写真や手紙類が多く展示されています。
「ここにあるのは、検閲を通っていない“そのままの言葉”です。隊員たちがトメにだけ見せていた、胸の内に近いものを感じられると思います」と鳥濵さん。

 

展示された手紙にあった「人生50年というけど、自分はその半分もならない年であの世に行くのだから、小母ちゃん(トメさんのこと)はその分長生きしてくれよ」という一節からは、若者たちの切実な思いが伝わってきました。

 

「生前、トメは『私がここまで長生きができているのは、特攻隊員から命を分けてもらったからなんだよ』とよく話していたそうです。
足腰が弱くなり車いすで移動するようになってからも、特攻隊員たちのことを片時も忘れず、知覧特攻平和会館のすぐ近くにある観音堂へ毎日お参りに通っていたと聞いています」

特攻隊員と交わした何気ない会話、彼らが吐露した深い悲しみや本音など、隊員たちの思いを受け止め続けたトメさん。
支える側であり続けた彼女の心にも、積み重なるものがあったのだと思わされます。
 

平和を考える旅。知覧で特攻隊の歴史をひもとくピースツーリズム

そのほか館内には、かつての「富屋食堂」の座敷も再現されており、家具や囲炉裏など当時のものも配置されています。

 

「知覧特攻平和会館」や「万世特攻平和祈念館」とあわせて訪れることで、それぞれの展示品の見え方が変わるかもしれません。
時間に余裕を持って、ゆっくりと向き合いたい場所です。

 

ホタル館 富屋食堂

住所
鹿児島県南九州市知覧町郡103-1
営業時間
10:00~17:00
定休日
なし※資料交換のため休館する場合あり
料金
【入館料】高校生以上500円、小・中学生300円
アクセス
【車】指宿スカイライン「中山」ICから約30分
公式サイト
ホタル館 富屋食堂

知覧茶屋

平和を考える旅。知覧で特攻隊の歴史をひもとくピースツーリズム

「知覧特攻平和会館」のすぐそばには、食事処「知覧茶屋」があります。
当時、トメさんが切り盛りをしていた「富屋食堂」の味を継承するお店です。

 

画像提供:知覧茶屋

桜の名所で知られる「知覧平和公園」の前にあり、春になれば知覧茶屋の半個室からも桜並木を見ることができます。

 

食堂を閉じて「富屋旅館」を始めてからも、「いつか富屋食堂を再開したい」と話していたトメさん。その願いをかなえようと彼女の息子である鳥濵明久さんが1988(昭和63)年に開業しました。
トメさんが元気な頃は、親子で店頭に立っていたそうです。

 

代替わりした現在は、曾孫の鳥濵拳大さんが「ホタル館 富屋食堂」とともにこちらのお店も切り盛りをしています。

 

画像提供:知覧茶屋

「地元の人たちに愛されて35年以上が経ちました。観光で訪れる方も多く、鹿児島の郷土料理や定食を豊富にそろえています。中でも郷土料理『とんこつ』(700円)は特に人気ですね」と鳥濵さん。

「とんこつ」とは、なんこつなどを使った豚肉を甘く煮込んだ鹿児島県の郷土料理。富屋食堂で、実際に提供されていたメニューだそう。

 

平和を考える旅。知覧で特攻隊の歴史をひもとくピースツーリズム
平和を考える旅。知覧で特攻隊の歴史をひもとくピースツーリズム
平和を考える旅。知覧で特攻隊の歴史をひもとくピースツーリズム

店内には当時使用されていたお店の看板や、特攻隊員たちに囲まれて幸せそうな笑顔を見せるトメさん、晩年のトメさんの写真などが飾られています。

 

平和を考える旅。知覧で特攻隊の歴史をひもとくピースツーリズム

各所を巡るだけでも十分トメさんの想いを感じることができますが、もっと深く知りたい人には、拳大さんによる語り部ツアー(有料)への参加もおすすめ。
希望に沿った時間内で「ホタル館 富屋食堂」と「知覧茶屋」、知覧の史跡を巡るコースを組んで案内してもらえます。

当時の話を聞けるだけでなく、地元の人に知覧を案内してもらえる貴重な機会です。ぜひ参加してみてはいかがでしょうか。

 

知覧茶屋

住所
鹿児島県南九州市知覧町郡17856
営業時間
月~金11:00~15:00、土日祝11:00〜20:00
定休日
不定休
アクセス
【電車】JR「鹿児島中央駅」から鹿児島交通バス乗車、「特攻観音入口」停留所で下車後、徒歩約5分
【車】指宿スカイライン「中山」ICから約30分
公式サイト
知覧茶屋

 

平和を考える旅。知覧で特攻隊の歴史をひもとくピースツーリズム
© P.K.N

知覧には、歴史として語られる出来事の向こうに、一人ひとりの人生が確かに息づいていたことを感じられる場所が点在しています。
実際に足を運び、時間をかけて向き合うことで見えてくるものも少なくありません。

 

日帰りでも訪れることはできますが、南九州市内や鹿児島中央駅周辺に宿泊し、余裕をもって巡ることで、この地の空気をより深く感じられるはず。
知覧のさらに南には、砂蒸し温泉で知られる指宿市もあるので温泉旅行とかねて訪れるのもよいでしょう。

知覧で過ごす時間は、過去を知るだけでなく、これからを考える時間にもなります。
平和の尊さを忘れないために。改めて知覧という場所に向き合ってみてはいかがでしょうか。

 

 

 

取材・文/原口 可奈子 撮影/フォトワークス小森園 豪

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