九州には、ただ目的地へ向かうだけでは終わらない「特別な列車旅」があります。車窓に広がる風景、こだわり抜かれた車内デザイン、そしてその土地ならではの物語……乗り込んだ瞬間から、旅がゆっくりと動き出します。
そんな体験ができるのが、JR九州の観光列車「D&S列車」。なかでも熊本は、海へ向かう列車と山へ向かう列車、まったく異なるふたつの旅を一度に味わえる、列車好き必見の旅先です。
穏やかな海と島々が広がる天草へは、ジャズを聴きながら大人の時間を楽しむ 特急「A列車で行こう」(以下「A列車で行こう」)。一方、雄大な自然が待つ阿蘇へは、遊び心あふれる 特急「あそぼーい!」(以下「あそぼーい!」)。どちらも同じ熊本駅から出発しながら、向かう先も過ごし方もまるで別世界です。
移動のはずの時間が、気づけば忘れられない思い出へと変わるD&S列車の「A列車で行こう」「あそぼーい!」を紹介します。
目次
JR九州のD&S列車とは?
JR九州の「D&S列車」は、“Design & Story(デザイン&ストーリー)”をコンセプトにした観光列車の総称です。乗車した時からワクワクする特別なデザイン(Design)と、その土地ならではのストーリー(Story)の両方を感じられるように。D&S列車という名前には、普通では味わえない特別な乗車体験という想いが込められ、全10種類の列車が九州7県を走っています。
単なる移動手段というよりも「乗ること自体が旅の目的」となる体験型の列車で、車窓の景色や車内サービスをゆったり楽しめます。
代表的な列車には「ゆふいんの森」「或る列車」「指宿のたまて箱」などがあり、九州各地を走りながら、その土地ならではの風土を感じられるのが魅力です。
大人の非日常を楽しむ「A列車で行こう」(熊本〜三角)
コンセプトは“16世紀ヨーロッパ×天草”
上品な黒に優雅なゴールドがアクセントの「A列車で行こう」。ジャズの名曲である「A列車で行こう」にちなんだ名前ですが、名前に含まれるAには、目的地である「天草(Amakusa)」、そして「大人(Adult)」の旅という2つの意味が隠されています。
特別にアレンジされた「A列車で行こう」のメロディーが響く中、熊本駅に軽やかに入線する登場シーンも必見。乗車する前から、すでに非日常の世界が始まっています。
土日祝と長期休暇を中心に運行され、2両という少ない車両編成も特別感を演出。全席指定で、2号車には2人掛けシートを中心に、3名以上から利用可能なボックスシートの他、ソファー席や、キッズチェアが並んだカウンター席のフリースペースもあります。
ハイボールを片手に……車内で楽しむ大人の時間
16世紀に大航海時代が幕開けし、ヨーロッパ文化が世界を席巻する中、玄関口のひとつだった天草ではその文化がいち早く伝来。1号車の天井には、当時ヨーロッパで貴族や騎士も使用していた様々なエンブレムが並び、ひときわゴージャスな空間になっています。
車内には記念乗車証も。スタンプは列車のシンボルである「A」をモチーフとしています。ぜひ旅の思い出として持ち帰って。
※記念乗車証のデザインは、2026年3月現在のものです
そして、1号車には大人の旅ならではのうれしい設備が。優美な曲線を描いたバーカウンター「A-TRAIN BAR」では、蝶ネクタイやベストに身を包んだ客室乗務員が、ハイボールをはじめ、ソフトドリンクや沿線で作られているスイーツを提供しています。
特に熊本県初のモルトウィスキー専門蒸留所である「山鹿蒸溜所」の「シングルモルトウィスキー(山鹿 ザ・ファースト)」で作る「Aセレクトハイボール」(1,000円)は、注文後に目の前で注いでくれる、眼福の一杯。山鹿に伝わる伝統の「山鹿灯籠踊り」を舞う女性たちをイメージしたエレガントな味わいが特徴です。
※車内販売商品のメニュー・価格などは2026年3月現在のものです
ノンアルコールのドリンクでおすすめなのが、地元のデコポンを使った「Aサイダー」(写真右、450円)。爽やかな香りとデコポン特有の濃厚な甘みが楽しめます。
ドリンク以外に地元の名産品を使ったスイーツも必見。カカオ豆からチョコレートまでの全工程を一貫して製造する九州初のBean to Barを手掛けるカカオ研究所の「塩チョコレート」(600円)は、芳醇なチョコレートのコクを天草の塩が引き立てます。
「A列車で行こう」のデザインを手掛けたのは、「ななつ星 in 九州」をはじめ、数々の列車を手掛けてきたデザイナー・水戸岡鋭治(みとおか えいじ)さん。細部にまでこだわりが感じられる、上質な空間が広がっています。
車内には、天草に伝わったキリスト教をイメージしたインテリアが随所にさりげなくあしらわれているのも特徴のひとつ。例えば、バーカウンター横のソファ周辺には、鮮やかなステンドグラスが施され、車内を華やかに彩っています。
おすすめの楽しみ方
熊本駅から天草の玄関口である三角(みすみ)駅までの約36キロを、列車は約1時間かけて運行。車窓を眺めながらお酒をゆっくりと味わうのに、ちょうどよい長さ。車窓には有明海の絶景が広がり、客室乗務員によるアナウンスが旅情をいっそうかきたてます。
「A-TRAIN BAR」では、オリジナルグッズも購入できるのでチェックをお忘れなく。キーホルダーやピンバッジ、クリアファイルに、客室乗務員がデザインしたタオルなど品ぞろえも豊富です。
目的地までの移動中にもかかわらず、ちょっとした観光を楽しめるのもD&S列車の魅力。熊本駅発の1号、3号だと途中駅の網田(おうだ)駅で20~25分ほど停車し、県内最古の木造駅舎を探索できます。
1899(明治32)年に開業した駅舎は、国の有形文化財にも登録。多くの人たちを見守ってきた建物には、列車が主な交通手段だった頃の名残がきれいに残されていて、時の流れを感じさせます。
駅前にある公衆電話ボックスも明治時代を象徴する六角錐の木造デザイン。レトロな写真が撮れると話題の撮影スポットなのだそう。
駅舎に併設されている駅カフェ「網田レトロ館」では、旬のフルーツを使った生ジュースとスムージーを味わえるだけでなく、地元の方との交流も醍醐味です。土日祝の営業で、窓からは停車中の「A列車で行こう」も眺められ、地元だけでなく旅行者の憩いの空間になっています。
出発を知らせるベルの音が響くと共に、網田駅では地元の方々が勢ぞろい。あふれんばかりの笑顔に見送られ、こちらも全力で手を振り返すなど、束の間の交流に心がじんわりと温まります。
青い景色が広がる天草
教会風のレトロな三角駅に到着し、「A列車で行こう」の旅は名残惜しいうちに終わりを告げます。その到着時間に合わせて、駅前の三角港からは天草観光の拠点になっている松島(前島)港行きのクルーズ船が出ていて、天草への交通も便利です。
松島(前島)港では、青い海に浮かぶ緑の島々といった多島美が一面に広がります。そんな松島(前島)港の目の前にある「リゾラテラス天草」は、天草観光のハブ的存在。野生のイルカに会いに行くツアーやシーカヤックなどマリンアクティビティも楽しめ、天草にまつわるおみやげも幅広く販売。天草定番のお菓子「天草サブレ」のエスプレッソ味(8枚入り453円)や、「天草黒糖ばなな」(8本入り507円)など、リゾラテラス天草限定のおみやげもたくさん。
名産の天草塩を使用したオリジナル塩パン(165円)は、同じ敷地内にある「天草塩パンラボ」の看板商品。職人がひとつひとつ丁寧に焼き上げます。プレーン以外にキャラメル(264円)やあんバター(374円)、天草ポークチーズ(440円)など種類も豊富です。
ハーバーに面した「アイランド スタンド」では、地元の素材を使ったイタリアンジェラートが人気。オープンデッキの先からは爽快な天草の景色を一望できます。
ランチ・ディナーは、全席オーシャンビューの「プレート カフェ リゾラ」で。地元野菜に始まり、天草大王や天草宝牧豚、それに天草真鯛に天草産タコなど、ありとあらゆる天草の美食を満喫できるレストランです。ランチはコースメニューもあり、パーティプランもあるので、グループ旅行でも安心。
子どもも大人も楽しい「あそぼーい!」(熊本〜阿蘇・宮地)
コンセプトは“遊び心”
目的地の「阿蘇」と「遊ぼう」の2つの意味を持つ「あそぼーい!」。元気いっぱいな名前を持つ列車の車体には、JR九州のキャラクター「くろちゃん」が自由に駆けまわり、乗る前から自然とにっこりするデザインです。
車内の至るところに、元気いっぱいなくろちゃんがお待ちかね。列車には101匹のくろちゃんが登場し、どこに隠れているか探すだけでわくわく。思わず「あそぼーい!」と言いたくなる、遊び心があふれている列車です。
4両編成で座席数が多く、1日2往復4便が運行しているのもうれしいポイント。全席指定で、主に2人掛けシートが並びますが、3号車には親子旅が楽しくなる仕掛けがつまっています。
ファミリー向けの仕掛け
座席が並ぶ他の車両に比べて、3号車は開放感たっぷり。通常よりも幅の広いシートは親子で座れる仕様になっていて、幼児の子どもが必ず窓側というオリジナルの親子シートになっています。隣同士のシートがズレながら配置されているので反対側の景色も見やすく、配慮が隅々まで行き届いています。
景色を堪能したら、そのまま同じ車両にある子ども専用のフリースペース「くろクラブ」へ。大きな木のボールプールは、たくさんの子どもたちが一度に遊べる人気スポット。
ボールプールの反対側には「くろ文庫」があり、ふかふかのソファーに座って絵本を読むことができます。100冊近くそろっているので、読みたい本を探す時間も楽しみなひとときに。
「走るおもちゃ箱」をコンセプトに、子ども達が伸び伸び過ごせる場所というのが「あそぼーい!」の特長。なので、音や周りを気にせず過ごせるのが心強いポイントです。
また乗車記念のスタンプも3号車に設置されているので、お忘れなく!子どもの背丈に合わせているので、子どもが自分でスタンプを押せます。今日の乗車の思い出に。
※記念乗車証のデザインは、2026年3月現在のものです
それでも子どもが飽きてしまったら、車内散策へ出かけましょう。各車両には誰でも利用できるフリースペースがあり、カウンター席やソファーも。それぞれ雰囲気が異なるので、車窓から見る景色も新鮮に映ります。
1号車と4号車の最前部と最後部の3列はパノラマシート。2人席と1人席のゆったりとした3列仕様で、ダイナミックに移り変わる景観を眺めることができます。
おすすめの楽しみ方
立野駅では車両の行き違いを待つため、しばらく停車します。この時は「あそぼーい!」を撮影する絶好の時間。「あそぼーい!」3号が停車する際は、九州横断特急も同時刻にホームで停車していて、撮り鉄にはうれしいツーショットをおさめることができました。
阿蘇山の外輪山周辺で起きるスイッチバックは、ぜひおさえておきたい景色です。ジグザグと進行方向を変えながら立野駅から赤水駅まで、高さ190メートルの急こう配を進んでいきます。先頭から最後尾に移り変わる瞬間や線路が二手に分岐する様子は、「あそぼーい!」の見どころです。
スイッチバックの近くでは、2021年に開通した新阿蘇大橋も登場します。2016年の熊本地震で崩落した旧阿蘇大橋の代わりとして架けられた雄大な橋は、全長525メートルを誇る、まさに復興の架け橋。近くになると車掌さんによるアナウンスが流れ、その声にも力が込められています。
そして車窓を眺めるのに外せないのが、限定のお弁当です。阿蘇名物のあか牛を炙った牛カツと、甘辛い牛すじ煮込みがたっぷり敷き詰められた「あそぼーい!弁当」(1,800円)と、子どもが食べやすいマイルドな味に仕上げたあか牛キーマカレーが盛られた「くろちゃん弁当」(1,200円)は当日販売ではなく、どちらもウェブ予約のみ。受け取り希望日の3営業日前までの受付なので、この機会にぜひお見逃しなく!
※車内販売商品のメニュー・価格などは2026年3月現在のものです
スイーツやおつまみなどの軽食は、3号車の「KURO CAFE」(くろカフェ)で購入できます。おすすめは阿蘇の地卵とジャージー牛乳をたっぷり使ったプリン。とろける食感がたまらない「こどもプリン」(400円)は車内のみの限定販売で、「大人プリン」(400円)はラム酒の魅惑的な香りが立ち、プリンのコクがいっそう深まります。
「KURO CAFE」では、くろちゃんオリジナルグッズも販売。あどけない表情のくろちゃんが描かれたタオルは客室乗務員がデザインした力作で、細かな部分まで再現されている立体キーホルダーも見事。缶バッジは10種類もあり、選ぶのに迷ってしまうほどのかわいさです。
雄大な山に囲まれる阿蘇
熊本駅から出発すること、約1時間半。ついに阿蘇駅に到着すると、ここでも出迎えてくれたのはくろちゃん!? くろちゃんは阿蘇駅の名誉駅長も務めている働き者。阿蘇駅の1番ホームには専用の「くろ駅長室」があり、人気の撮影スポットになっています。
阿蘇山の溶岩をイメージした阿蘇駅の駅舎は、シックな黒を基調に熊本県産の木材をふんだんに使用。駅舎の先には、雄大な阿蘇山が広がり、まさに阿蘇の玄関口にふさわしいたたずまいです。
駅のすぐ目の前には道の駅「阿蘇」もあり、おみやげを買うのに抜群のロケーション。熊本名物の高菜や辛子レンコンから阿蘇名物のあか牛のお弁当などが多数並び、常に多くの人でにぎわいます。
おすすめは阿蘇中央高校との共同開発で生まれた「うまかぁ豚ラー」。ピリッとした辛さがクセになり、ご飯のお供だけでなく、餃子や卵焼きに入れることで料理のバリエーションが広がります。
阿蘇駅から出発する路線バスに乗れば約30分で標高は一気に1,100メートルへ。約3万年前に形成された火口跡の「草千里ヶ浜」では広大な敷地に草原が広がり、その奥の中岳では今も噴煙があがっているなど、地球の鼓動が感じられます。
草原を歩いていると、自由に動きながら草を食む馬があちらこちらに。美しい景観を守るのに欠かせない存在ですが、実はその馬に乗るアクティビティが人気です。初心者も体験しやすいようスタッフが手綱を引いてくれ、1000年以上続く景色の中をゆったりと馬に揺られながら進む時間は、まるで悠久の時を旅しているような気分にさせてくれます。
乗り方・予約方法ガイド・モデルプラン
「A列車で行こう」と「あそぼーい!」は、どちらも全車指定席です。 JR九州のウェブサイトから乗車日の1か月前10:00から予約できます。みどりの窓口や駅に設置されている指定席券売機でも購入可能。ただし3名以上から利用可能なボックスシートは、みどりの窓口のみの発売です。
年末年始や夏休みなど長期休暇になるほど満席になりやすいので、早めの予約がおすすめ。特に「あそぼーい!」のパノラマシート最前席は発売と同時にすぐに予約が入る人気席。「A列車で行こう」で海岸線の景色を眺めたい時は、上下便ともにD席が海の見える窓側席です。(※ボックスシートの場合は、2号車2番、2号車4番が海側)
1日2往復4便が運行している「A列車で行こう」と「あそぼーい!」。熊本駅を午前に出発する1号に乗車し、最終便の4号で帰ってくれば天草と阿蘇を日帰りで観光できます。熊本駅周辺に宿泊し、翌朝に昨日と異なる列車に乗れば2日間で熊本の海と山の両方を堪能でき、さらにD&S列車に4度も乗車するという夢のような体験がかないます。
「移動」が「思い出」に変わる、熊本D&S列車の旅へ
乗車する前のわくわく感から始まり、その地域ならではのデザインや地域の名産品を味わえるフードメニュー、さらに客室乗務員のうれしいおもてなしなど、移動時間がひとつの旅として楽しめるのが、D&S列車の魅力です。
2026年7月1日から9月30日まで、熊本県全土でデスティネーションキャンペーンが開催されます。「もっと、もーっと!くまもっと。」というキャッチコピーのもと、期間中は特別なイベントやアクティビティが満載。JR九州のD&S列車を起点に、熊本をもーっと発掘する旅に出かけてみてはいかがでしょうか。
取材・撮影・文/浅井みらの

